2011年5月25日水曜日

チャイの味が変わった。取っ手もついた。

グルジア入国後に立ち寄ったガソリンスタンドで運転手にチャイを奢ってもらう。トルコで飲んできたものとは少し味が違う。ガラスのコップに取っ手もついた。ああこれが国境を越えるということかと、こっそりテンションがあがる。


トルコのエルズルムから、国境のサルプという街までバスで行き、国境を越えたらタクシーで近くの街まで行こうと思ってバス会社の窓口に行ったらあっさり「国際線があるよ」と言われ、エルズルム-ティビリシ(グルジアの首都)間のチケットを買った(約3000円)。


国をまたいでの旅行の醍醐味のひとつに陸路での国境越えがある。日本に居ると国境というものはあまり意識しないが、世界一周をするにあたり各国の治安などを調べていて、国境についてはいろいろ思いを馳せるところがあった。そしてインドからトルコへは飛行機を使ったから今回がはじめてである。


グルジア行のバスはがらがらで、英語ぺらぺらで神道イズムについて興味があるというおっさんと、彼氏とえんえんとケータイで会話をしているトルコ・ギャル、そして落語を聞いてくすくす笑っている不気味な日本人というメンバーで山道を進む。件のおっさんに「神道イズムとは何か」と聞かれたので、「イスラームでは神様はアッラーだけらしいが、神道では神様が8ミリオンくらい居て、多すぎるから誰も名前を覚えられないんだよ」という微妙な説明をした。


午前一時ごろにたたき起こされ国境到着。ねぼけたまま、まずはトルコ出国手続きに向かう。入国同様一瞬で終わる。徒歩で少し歩いた先にグルジア入国手続き所。日本人はアゼルバイジャンとアルメニアはビザが必要だが、南コーカサスの三カ国でグルジアだけは必要ないためこちらも余裕。ニコニコしながら「ユタ、キヨ……キヨノ?」「イエス」「ウェルカムトゥジョージア!」となごやなか雰囲気に包まれてグルジア入国である。


抜けた先は両替屋と駄菓子屋があるくらいのさびしいものだった。トルコ・ギャルはあいかわらず電話をしていて、ことほどさように愛は国境を越えるものなのだなあと思いながら立ちションをしてバスを待つ……が走ってやってきたのはバスの運転手であった。


「お前、荷物下に入れっぱなしだろ?」とかなんとか、おそらくそんなことを言っているのだろう(トルコ語なのでわからず)。うっかりしていたが、荷物もイミグレを通さないといけなかったらしい。仕方がないのでバスへ戻ろうとするが、「ちょっと荷物を取りに……」という主張が通るはずもなく、グルジア出国手続き。はじめてのグルジアは立ちション一回で終わった。バスへ戻りバックパックを拾って再度入国手続きをしに向かう。さっきと同じ担当者で「また来たの?」と笑われたが、今回も「ウェルカムトゥジョージア!」と言ってくれた。


というわけで同乗者に若干迷惑をかける格好にはなったが無事にグルジア旅行がスタートした。なお、冒頭に述べたチャイ、神道イズムについて質問してきたおっさんいわく、「これはスペシャルなティーで、アゼルバイジャン・ティーって言うんだぜ」とのこと。やはりコーカサスはなかなか複雑そうである。

2011年5月9日月曜日

キルキー、どこいった?

キルキーが助手席の引き出しの中からノートを取り出して私に読めと勧める。暗くてろくに字が見えないしお腹も空いたので申し訳ないがあとにして欲しいと伝えると、私はあくまであなたのためのガイドであり、読むか読まないか、それはあなたのチョイスである、と言ってニヤリと笑ってお勧めのレストランへタクシーを走らせてくれた。


かつてはムガル帝国の首都であり、現在はインドでもっとも有名な観光スポットである白い建物(このブログを更新しているのは訪れた三週間後。いまとなっては、すっかりその名を忘れてしまいました!)があるアーグラーに着いたのは夜の10時過ぎ。ホテル街が駅からちょっと離れているので、同じような境遇のバックパッカーでもつかまえて、相乗りをしてオートリキシャ代を浮かそうとウロウロしていたときに声をかけてきたのが、タクシー運転手であり観光ガイドでもあるミスター・キルキーであった。


ホテルを紹介してやる、運賃は20円だ、さあ一刻も早く乗れ!と誘われ、いくらなんでも20円は怪しすぎるだろと思いながらも、なんだかんだとゴネだしたら日本語で怒鳴りつけてやればいい、とデリーからの長旅で疲れていた私は疲労時独特のハイテンション&ポジティブシンキングを発揮してタクシーに乗りこむ。予算は600円~800円だと伝えたが、今夜はフェスティバルだからどこも満室だ、その値段では何も見つからないだろうと1000円の宿に案内される。実際には1200円が予算のリミットだったので、まあそんなもんだろうと気にせずチェックイン。


部屋に荷物を放り込み、とりあえず空腹が耐えがたかったのでレストランに行ってくれとお願いしたときに渡されたノートには、マトン・カレーを食べてラッシーで一服をしながら確認したところ、数人の日本人の手により、「最初は『怪しいな』と思ったけれども、つきあってみるとすごく親切で面倒見のいいガイドさんでした!」という内容の日本語が綴られていた。キルキーは、お前の友達もみんなこう言っている、ゆえに私は信頼できる、と胸を張るのだったが、手の込んだ詐欺だなあというのが私の第一印象であった。それに、「友達」という言葉を多用するインド人はたいていひとつかふたつ嘘をついている。


とはいえ、ホテルに戻り、小さい額の紙幣が無いからという理由で20円すら払わずにすんだこともあり、明日は何時に待ち合わせようか?と、オッサンに言われてもあまり嬉しくない台詞で誘われたときも、こいつとどうやってつきあっていくかは一晩考えてから決めればいいと、9時半だ、と暫定的に答えその日は別れた。すでに日付が変わる時間だったので歯を磨いて全裸になり、1000円したけどそんなにいい部屋ではないな、とキルキーへのマイナスポイントを加算して就寝。


現代のアーグラーはそれほど大きな街ではないが、観光スポットが各々離れて点在しており、すべて見て回るにはどのみち一日ガイドを雇うか、あるいは毎回リキシャーの運転手と面倒な交渉をしなければいけないことを考えれば、彼に任せるのも悪く無いだろうということで、9時半にホテルの前で再会すると、単刀直入にガイド料をたずね、安くは無いが高くもなかったので、キルキーで行こう、と決めた。


実はこいつがとんでもない詐欺師で……というのが今回のオチではないのでここであらかじめ結論を申し上げておくと、キルキーはまあ普通に良い人でした。特に騙したりといったこともなく、土産物にはいっさい興味が無いと言っているのに、見るだけ見るだけ、というインド人お決まりのフレーズと、買うか買わないか、それはあなたのチョイスである、という彼得意のフレーズを放って無理やりクルター(インド人がよく着ているゆるい感じの服)やらダージリンティーやらの土産物屋に連れていくところ以外は別に面倒なところもなかった。疑ってごめんよキルキー。ちなみに彼は元オートリキシャーの運転手で、7年くらいかけて金を貯め、この日本車を買ってガイドに転職したんだと言っていた。ただ、私は自動車のことはよくわからないがたぶんそれは日本車ではなかった。


観光スポットとしてはファテープル・スィークリー、アーグラー城、そして名前は忘れた白い建物(なんとかさんのお墓なんだそうだ)を一通り見て回り、白い建物ではあまりの人の多さと警備員の偉そうな態度に辟易して一番奥までは入らずに芝生で寝っころがって時間を潰した。この日はインドへ来て初めて下痢に悩まされた一日であり、かついろいろ歩き回ったのでそれなりに疲労がたまっていたし、今夜は20時発(ということはおそらく23時くらいに出発)の夜行列車で次の街へ行く予定でもあったので無理をするのはやめようということで、ソルティ・ラッシーは腹痛時にいいぞ、というキルキーの教えを忠実に守るなどして電車到着の時間を待った。


駅まで連れて行ってもらい、ガイド料を払うと、これでは少ないと言われる。チップが必要だという意味なので特に反論もせず少し上乗せして払い、握手をしてアーグラー・カント駅で別れる。全体の出費を考えると結果的にそこまでお得感もなかったけれどもこれはこれで良かったのだ、と思いながら駅の電光掲示板を探すが私の電車は見つからない。今日はいったい何時間遅れるのか、とあきれながらチケットで電車の番号を再度確認してみると、一日日付が間違っていたことがわかった。



キルキー、どこ行った? 私は間抜けなことに電車のチケットを買い間違えた。だからもう一泊アーグラーに泊まらないといけなくなった……助けてくれ!と心の中で叫ぶも、おそらくキルキーは先ほどデリーからやってきた夜行列車の乗客のなかから、一人旅でそこそこお金を持っていそうな観光客を見つけ出し、何カ国語分用意されているのかわからないノートを見せに向かっているはずでもう近くには居ない。フェスティバルは今夜も催されており、ホテルはどこも満室だとか言っていたな……としばし呆然としていると、ホテルを紹介してやる、運賃は20円だ、さあ一刻も早く乗れ!とタクシーの運転手に誘われた。次の日は、彼に紹介してもらった割高なホテル(一泊2400円)に一日引きこもってヘルマン・ヘッセ『シッダールタ』を読み続け、観光には一歩も出かけなかったので彼の名前はわからない。






写真は、別れる間際にホテルの前で撮影したキルキーとのツー・ショット。オレンジ色の服を着ている方がキルキー。左側は、「インドの気候には適さない」とことあるごとに駄目出しをされ、その格好で電車に乗るのだけは絶対に止めたほうがいいと念をおされ、仕方が無いからホテルの前でかわいい女の子二人組に観察されながら着物を脱いで洋服に着替えた私。なお、その後かわいい女の子二人組とも写真を撮影したがここには掲載しない。

2011年5月8日日曜日

迷子にならぬ日などない

売春街を歩くのにも飽きてきたなと思いはじめたあたりで道に迷ったことに気がつく。こういうときの頼みの綱である地図も方位磁石もホテルに置いてきてしまったうえにデタラメにここまで歩いてきたから自分がどこらへんに居るのかおおよその検討もつかない。テヘランではなくムンバイであることだけは嫌というほどわかっているが……

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在ムンバイ日本国総領事館でイランビザ取得のためのレターをいただこうと日射病予防のために水をがぶがぶ飲みながら高級住宅街を歩いていたら、日章旗は掲げられていないが日本語で「日本国総領事館」と書いてある看板があったのでよしここが在ムンバイ日本国総領事館だろう、しかし門が閉まっているな、と思いつつ腹痛に襲われる。


門の専門家である門番に門が閉まっている理由について尋ねるとなるほど今日は土曜日らしい。そしてムンバイからドバイを経由してテヘランへ向かう私の快適な空の旅が予定されている明日は日曜日らしい。今年で26歳になる私は、自分が土曜日や日曜日とはどういう日なのかわかっているけれども今日が何曜日なのかは門番に教えてもらうまでわからない程度には幼い、ということを思い知り、加えて件の腹痛もおさまらず、地面にうずくまり打ちひしがれていた。すると何も言わずに私を抱きしめトイレの場所を指差す門番。イケメンであった。


念のため、というより、一縷の望みを胸に抱いてイスラミックリパブリックオブイラン領事館へ向かうも今度は国旗こそ掲げられているもののやはり門は閉まっている。いてもたってもいられなくなりダッシュで電車に乗ってチャーチゲート駅で下車。なお電車の扉は開きっぱなしでいつでもどこでも降りられるシステムになっているが走行中にホームに飛び降りると慣性の法則で派手に転びそうになるので注意。まあ今日が何曜日なのかもわからない人間に注意などされたくはないだろうが……


こちらはなんとか開いていたエミレーツ航空のオフィスに汚らしい格好で駆け込み、もしかするとこんなことになるのではないかという不安はビーチでピナコラーダを飲んだり波と戯れていたりしていたときも常に胸中にあったがその不安が見事的中してビザが取れなかったのでフライトを変更して欲しいと申し出、なんとかプラス2000円で火曜日の同じ時間に私の席は移動した。その日までにビザが取得できる保障もあいかわらず無いわけだが、月曜日も火曜日も少なくとも門くらいは開いているだろう。そしてもしそれでも駄目だったらイスタンブールへ飛ぼう、そう、ビザの必要のない国へ……と決めましたお母さん。定期的にメールを送るという約束を破ってすみませんでした。


                  ***


以上のような顛末で、インドで一番ホテル代が高い街、ムンバイで退屈な日々を過ごす羽目になった私は、井筒俊彦訳の『コーラン』をひたすら読んだりしながら時間をつぶし、それに飽きると「地球の歩き方」をめくってホテル近所にあるドービー・ガートという屋外洗濯場がなかなかの壮観らしいと知り、近所だから手ぶらで行ってもまさか迷いやしないだろうとフロントにキーを預けて外出、ところが目的のドービー・ガートはそれほど見るべきポイントもなく数枚写真をとって終了、まだホテルの夕食が用意されるまで時間が余りまくっていたのでテキトウに横道にそれたりしていると、ビザをゲットして余裕も出たところでインド最後の夜にちょっと冷やかしに行こうと思っていた売春街に知らぬうちに迷い込み、一回200円だけどどうかな?と異常な金額で私とのコミュニケーションを打診してきたインド人女性を無視しつつ更に奥に進むもあっけなく「例の目つき」をした女性がいるエリアは終了、そして私は迷子となったのであった。もはやこれは日課である。


例の目つき、とは「ああこの女性は男性である私からお金を奪おうとしているな」ということが目があった瞬間にわかる目つきのことで、それは新宿の路上でも池袋の路上でも上野の路上でも、なんなら那覇の路上でも富山の路上でもバンコクの路上でも見つけることができる普遍的な目つきであり、案の定ムンバイの路上でもそれは寸分たがわず同じであった。同じように路上にたむろし、同じように積極的にこちらと目をあわそうとし、同じように私からお金を奪おうとするインド人女性として物乞いの方々が存在するが、それとは違う。


道に迷った。という問題はまったく解決していないけれどどうせ時間はありあまっているのだし小腹も空いたし、と近くのレストランに入り、具が卵だけのシンプルなチャーハンとミネラルウォーターと食後のコーヒーを腹にほうり込みながらそんなことをつらつらと考え、店内から見える建設途中の高層ビルを目印にホテルに帰ることができそうだなとぼんやりと思いつき、帰りにATMに寄らないと、と腹巻の中のクレジットカードをそっと確認した。





写真はドービー・ガート。21世紀にもなって手洗いで洗濯をしている、という事実が観光客のツボをついている模様。