2011年9月6日火曜日

英語の通じない国の病院で緊急オペラシオン

海外保険についてはバックパッカーの間でもいろいろな意見があるようです。近年、保険料の価格は上昇傾向にあり、保障範囲にもよりますが一年くらいの長旅になると10万円は軽く越えます。入らなくてもなんとかなるかな?とつい思ってしまうのもうなずける金額です。私はクレジットカード付帯の保険があるから大丈夫、とたかをくくっていましたが、出発直前に確認してみると3カ月限定の保障だったので、あわてて別途加入し、泣く泣く13万円くらい支払いました。


保険に入る一番のメリットは、命を最優先して行動することができるという点にありますから、銃を突きつけられたときは迷わず荷物をすべて差し出すつもりです。盗難保障で全部戻ってくる荷物に固執するのは馬鹿げています。いざというとき、このように理性が合理的に働くかどうかはわかりませんが…… 一方、病気・怪我関係で可能性が高いのはマラリアなどの感染症と、それから強盗に殴られたり刺されたり撃たれたりしたときでしょうか。ATMで金を引き出して渡した直後に発砲されたというケースもあるようですから、おとなしくしていれば大丈夫というわけでもないのです。


いずれにせよ、いざというときにスムーズに進行できるように、緊急連絡先は三つの場所にメモって別々に保管してあります。パスポートにも小さく書き込んであるので、最悪の事態のとき、パスポートだけは勘弁してくれと強盗と交渉をして取り戻せれば迅速に行動に移れます。まあパスポートも高値で取り引きされるようですから交渉が成立するかどうかは運に左右されます。その場で空気を読んで決めようと思います。



                  ***


5日くらいまえから左足のふくらはぎが蚊に刺されたなと気づいていたものの、とくに痒くもないし、と放置していたらだんだん腫れてきて、ああこれは痛痒いパターンかなーと思っていたらあれよあれよという間にぷっくら膨らみ色はドス黒くなり発熱も止まらず、何しろ痛くて痛くてしまいには歩行困難になりました。歩けないから観光はできないし(いや頑張れば歩けますが、この足で世界一の迷路とも言われるフェズの市場を歩く気にはさらさらなれません)、軽い怪我で病院へ行って、保険申請のリハーサルをしておくのも悪くないなと思い、治療を受けることに決めました。


まず保険会社に電話をし、提携している病院を教えてもらい、そこに行って書類に記入すると、お金を支払わずに治療が受けられるキャッシュレスシステムというものがあるのですが、電話をしてみるとモロッコはこのシステムに対応していないらしく、診断書と領収書をあとから郵送すると返金されるという仕組みだそうです。だから病院もどこでも良いんだとか。また、病院までの交通費も領収書があれば支払われるんだそうですが、モロッコのプチ・タクシーの運転手にレシートを要求してもそんな準備があるはずもなくタクシー代は自腹。


ところでモロッコは英語が通じません。アラビア語かフランス語、スペイン語が少々、という程度です。しかしまあ、患部を見せて、テキトウに塗り薬を貰って、うまくいけば飲み薬の抗生物質も処方してもらえるかな、という程度に考えていたので言葉わからなくてもなんとかなるかーと妊婦に囲まれて待つこと4時間(なぜか私以外の患者は妊婦ばかりで、足の痛みをこらえつつ、この病院で良かったのだろうか?という疑問が脳内をうずまいていました)、診断室に入って患部を見た瞬間、フェズには何日滞在するんだ?と英語で質問されました。まさかの通院?と思いながら2日だと答えると、これは切らないといけないなーみたいなことを今度はフラ語とジェスチャーで私に伝えてきました。理由の説明は理解できず。



ではいざオペラシオン!と思ったら、なんと、お前金は持っているのか?と聞かれました。相場がまったくわからないのでいくら?と聞くと、15000円くらいだとのこと。そんなにたくさん現金を持っていなかったのであとで払うと言うと、手術する前に用意しろと言われたので足が痛いのをこらえてATMを探し回りました。



手術自体は簡単なもので、麻酔を二本打って、ハサミでチョキチョキ切って、膿を取り出し、切り開いた箇所をゴソゴソいじって、包帯を巻いておしまい。余談になりますが、世界放浪へ向けて予防接種もかなり打ちましたが、麻酔の注射ってそれらに比べ物にならないくらい痛いのですね。麻酔注射なんてめったに打ちませんから油断していました。術後の様子を見て、包帯を交換したいので明日の朝また来いと言われ終了。飲み薬のような気の利いたものは一切もらえず、麻酔が切れて手術前よりも痛い足をひきずりながら宿へ戻ってこの日記を書いているところです。明後日までに、16kgのバックパックをかつげるくらいまで回復していることを祈る。

2011年8月17日水曜日

ダハブゲーム

ダハブゲームという遊びがある。参加人数分のトランプカードを用意し、そのうち二枚をキング、残りを平のカードにして配る。自分のカードを確認したあと、それをふせたまま自由に会話をし、誰がキングかを推理していくというものだ。あらかた会話が終わったところで各自が怪しいと思う人物に投票し、一番票が集まった人が殺される。一人脱落したあと、再び会話→投票の流れとなり、これを繰り返していく。うまくキングを二人とも殺したら平民たちの勝ち、誤って平民を殺し続け人数が少なくなって投票行為が不可能になったらキング側の勝ちとなる。

(参加人数が増えるとキングが3枚以上になったり、平民のなかには他人のカードを一枚だけ見られる「ジョーカー」「エース」を入れることもあったり、その他細かいルールがいくつかあるが、今回はゲームの紹介というよりこのゲームについて思ったことを述べたいので細部は省略する)


まだ一回しかゲームに参加していないうえに、ルールを文章で説明するのはなかなか難しいがうまく伝わっているだろうか。補足的かつ重要なルールとしては、カードが配られたあと「顔上げタイム」というものがあり、全員が顔を伏せた状態で、キングだけが顔をあげることができる。つまり、キング同士はお互いを確認できる。ダハブゲームは、一言で言えば平民とキングの戦いのゲームなのだが、キング同士がこのようにタッグを組んで必死に疑いを自分たちからそらそうとするのに対し、平民たちはスタートの時点では、自分以外は誰も信じられない仕組みになっている。平民たちは結束できない。ではどうするか。論理と空気の二つに従って投票をする。ここがこのゲームのポイントである。


自由会話タイムの序盤は、まだとくに手がかりもないので本当にダラダラ会話をする。例えば、ゲームは近所のレストランで行うのだが、「ご飯が一番最初に出てきたからお前はキングなんじゃないか?」みたいなデタラメな推理が行われる。疑われたほうが、「違いますよ何言ってるんですか(笑)」と軽くうけながす。ところが不思議なもので、全員の視線が集まるとけっこう緊張して、たとえ本当にキングではなく平民だったとしてもしどろもどろになってしまうこともある。こうして軽く疑惑が深まる。私が参加した回でも、普段からいじられキャラの二人は無根拠に疑われ苦労していた(結果的にキングではなかった)。



私は最初、このゲームはなんて日本的なのだろうと思った。つまり、論理的であろうがなかろうが、こいつが怪しいという「空気」が作られれば、その人に票が集まってしまう。他人について推理するのと違い、自分はキングではない(=平民である)ということを証明することは原理的に難しいので、説得的な言い訳ができないまま投票タイムに突入し、声が大きく弁が立つひとの意見に多数の人間は流され投票していまう。このような風景を実社会に見出すひとは私だけではないのではないかと思う。


ところが、人数がしぼられてくるに従って意見が変わった。繰り返しになるがこのゲームはキング対平民という構図である。平民は必死に推理をして、誰が怪しい彼が怪しいと「論理」で攻める。信じられるのは自分だけなので、自分のなかで確信が持てるまで推理を深める。ところが、キングは同じことを原理的にできない。なぜなら、彼は平民に対して「あいつがキングだ」と間違ったことを言わなくてはならないからだ。つまりキングの論理にはかならず飛躍、穴ができる。そして、その「あいつ」は恣意的に選ばれる。ゆえに、キングは「空気」を動かして人々を動員する、そういう性質を必然的にはらむことになる。そう、このゲームはキングたちが作り出す「空気」を、平民が「論理」でもって孤独に切り込み、崩せるかどうかという戦いなのだ。


ゲームの結果を述べると、平民であった私は「空気」に流されてしまいキングを殺せなかった。ゲームはキングの勝ちとなった。前述のような、このゲームの本質にもう少し早く気づいていればもう少し結果は違ったものになっていたかと思うととても悔しい。あとから分析すると、自分がさまざまなバイアスにとらわれ、正確な判断ができていなかったことがわかった。相手の表情や態度から「なんとなく怪しい」と思い込み、他人の発言の論理的整合性を十分に分析するのを怠っていた。


論理を貫けば平民が勝てる、というのは美しいと思う。もちろんこのゲームには心理の読み合いという魅力もあるが、私はそれよりも純粋に発言を取り出して論理の流れをチェックする方が性に合っている。次回また平民になったらぜひ論理でキングを殺したい。もちろんキングのカードをひけば、空気をつくり、スケープゴートを作る側にまわることになるのだが、それはそれでおもしろそうだ。浮気を隠すトレーニングにもなるだろう。なにせダハブは恋のまち。

イスラエルから陸路でエジプト入り

イスラエル国内でエジプトビザを取得し、陸路でエジプトに入った。同ルートを選択する旅行客は多数おり、ネット上にも情報はたくさんあるがエルサレムからダハブまでのルート全体について包括的に書かれているものは少なく、また実際やってみると想像よりスムーズに行かなかったので、参考のためその過程を記述しておく(2011年8月時点での情報)。


1エルサレム→エイラット
エルサレムから、エジプト領事館のあるエイラットへはバスで行く。75シュケルで一日数本運行。エルサレム中央BTを11時発のバスに乗る予定だったが、チケットカウンターへ行くとその便は満員だとのことなので、しかたなく同日17時発のバスを予約。イスラエルでは国内バスに15回以上乗ったが、満員で乗れなかったのはこれがはじめて。予約などしたこともなかったし、座席が指定されたのもはじめてだ。このようなことがあるので、時間に余裕がない場合は事前に予約しておいたほうが良いかもしれない。私は7時間近くBT内で時間をつぶした。WiFi接続が可能なカフェがあったのが幸い。エイラットまでは4時間半。途中、一度休憩が挟まれた。


2エイラットでエジプトビザ取得
エジプト領事館(Egyptian Consulate General)のオフィスアワーは9:30~14:00。金曜・土曜は休み。住所は68 Afrouni St.。エイラットの中央BTから歩いて15分くらい。「地球の歩き方」に地図が載っているが、持っていない人のために簡単に説明しておくと、BT近くにあるハネゲヴ通り(Hativat Ha Negev St.)を南西方向に直進。Argaman St.と交差するところで右折。最初の道をまた右折すると、エジプト国旗が見えてくる。


ビザ取得に必要なものは、「ビザ発行代100シュケル」「顔写真一枚」「パスポート」。その場で渡される申請用紙に必要事項を記述する。私はエイラットに一泊し、翌日9:30ぴったりに入り速攻で申請、1時間後に発行されると言われたのでその場で待ったが、結局3時間以上待たされた。待合所は屋外で、屋根はあるが冷房がないのでわりと暑い。エイラットはエルサレムよりも暑く、湿気も多い。事務手続きのためにじっとしているのに適したまちではない。リゾート地なのだ。


ちなみに、シナイ半島(観光地としてはダハブやシナイ山など)のみであれば、ビザなしでも国境を越えられるが、カイロなどへ行きたい場合は事前に取得しておく必要がある。入ってからなんとかなるだろうと思うかもしれないが、例えばダハブからカイロへのバスでは、途中パスポートチェックがあってそこではじかれたという話も聞く。また、エイラットでエジプトビザを取得したことが記録されるので、ノースタンプでイスラエルに入国したとしてもそれは意味がなくなる。


3エイラット→ターバ、そして国境越え
エイラットから、イスラエル・エジプト国境のまちターバ(TABA)までは、バスで30分程度。エイラットの中央BTから一時間に一本、毎正時発。私は11時発のバスに乗った。7,4シュケル。イスラエル出国時に、出国税101シュケルを払う。パスポートコントロールへ行く前に、出国税支払い証明書を購入するカウンターへ行く。ここで残りシュケルをエジプトポンドに両替可能。私はエジプト領事館で知り合ったドイツ人、アメリカ人と一緒に通ったが、三人とも何も問題なくスムーズに出国完了。


歩いてエジプト側へ。エジプトとイスラエルは時差があるので時計を調整する。イスラエル時間からマイナス一時間。エジプトのイミグレでは、なぜか三人ともひっかかり別室に連れて行かれた。あらためて面接でもするのかと思ったら、そこですぐにスタンプを押してもらった。理由はよくわからない。おそらく理由などとくになかったのだろう。イミグレの建物内にATMがあるので、エジプトポンドを降ろすことができる。


4ターバ→ダハブ
私はダハブへ向かったのでそれについても書いておく。イミグレの外に出ると、ラクダが道路を歩いている。のんびりした風景だなと思うまもなく、タクシーの客引きが寄ってくる。「タクシーに乗るか?」「バスで行くからいらない」「オレのはタクシーバスだ!だからいいだろう?」という不毛な会話をしてから、小さなBTへ向かう。まっすぐ歩いて左側。歩いて5分程度。ダハブ行きのバスは15時発。本数はそんなになさそうだった。15エジプトポンド。バスのなかで、エジプト入国税75エジプトポンドを支払ったが、いつもこういうやり方なのかはわからない。


ダハブまで2時間程度。ダハブのBTからビーチや宿があるマシュラバ地区まではタクシーに乗る。「一人20エジプトポンドだ!」と言われたが、私とアメリカ人(女性)でガンガン交渉して(ドイツ人(男性)は暢気に免税店で買った煙草を開封していた)、一人5エジプトポンドとなった。10分程度でマシュラバ到着。宿の名前が決まっていれば、そこまで連れて行ってくれる。私は「SEVEN HEAVEN」を選んだが運転手は普通に場所を知っていた。


ダハブの素晴らしさについては私があえて言うまでもないので割愛。

2011年6月24日金曜日

下から二番目

唇を除いて、キスをしたことがある回数が一番多い部位はどこですか? お尻? それともほっぺた? それともつま先? それとも膝の裏? それともそれとも? 人体でキスができない場所などひとつもありませんし、キリスト教徒は絵にも額縁にもキスをします。よーしマリア様のイコン画を通じてあの娘と間接キス。と思ったら、キスしたあとを指でかるくなでて去っていきました。優雅なもんです。



ソウルへ行くために作ったパスポートは、ロンドンへ行ったあとに破棄。2009年にバンコクへ行くために二つ目のパスポートを作成しまして、バンコクから帰ってきてからなくしまして、用もなかったのでずっとそのまま放置していたのですが、世界一周するぜ!と鼻息荒く意気込んで会社をやめ、一人暮らしの家を解約し、実家に転がり込んだらパスポートが見つからない。引越しで作った段ボール箱25個。全部開封しまして、吉高由里子の写真集の間から見つかりまして、そういや引越し前にパスポートは発見していて絶対にこれだけはなくさないように、と一番大切な本の中へ挟んでおいたのを忘れていました。もちろん吉高に向かってお礼のキスと敬礼(これ、パスポート関係なく毎日やっていますいまでも)。



話は本題に入りましてアルバニア入国スタンプについてです。いまはハンガリーにいるので、まあリアルタイム感は皆無ですが、機は熟した!ということでいまさらこのエピソードをご紹介します。機は熟したというか、宿がネットつながりませんで(プロバイダーを変えている最中だとの回答でしたが本当かな?)暇つぶしにキーボードを叩いているだけですが……


そういえば、私はいま編集者の神保さんとポッドキャスト企画をやっておりまして、聞いているひとがいるのかいないのかさっぱりわかりませんが(まあこのブログも似たようなもんですが)地味に続けていくつもりなのですが、前回の収録時に(今月中には公開されるはずです。具体的な話が全くでてこないグルジア・アルメニア編となっております)、その相方の神保さんより、歴史問題とか国際情勢とかそういうめんどうくさいことは文章で書いてくださいどうせ口頭でうまく説明するスキルないでしょ?とリクエストを受けまして(すみません後半は嘘です。神保さんがどなたかわからない方はラジオを聴いていただきたいのですが、そんなことはたとえ思ったとしても言わないきわめて善良な方です。ちなみに彼女募集中だそうなので興味がおありの方は「年収いくらですか」という件名でメールを送ってみてください)、なのでここにアルバニアの説明を書きます!


「!」をつけてテンションをあげてはみたものの、そんなにアルバニアに詳しいわけでもないので困りましたが、ポイントはひとつ、20年前まで鎖国していたということです。アルバニアは古くはローマ帝国、その後もビザンツ帝国、オスマン帝国などなどに支配された経験を持つアドリア海に面した小国で、その波乱万丈な歴史ゆえに、首都ティラナにある国立歴史博物館の展示(紀元前から現在までの歴史を辿れるようになっています)が鼻血が出るほどおもしろいのですが(なにせ博物館にはいったとたんにアメリカの国歌が流れてきますから。コソボ問題に触れると長くなりすぎるのでこのエントリでは割愛)、第二次世界大戦後もその勢いは止まりませんで、エンヴェル・ホジャ氏の指導の下、共産主義国家を目指すもその理想が独特すぎてユーゴスラヴィアと断交するわスターリン批判後のソ連とも対立するわその後接近した中国とも袂を分かつわという感じでおよそ友達などどこにもいない、という状態になりました。そりゃ鎖国くらいしなきゃやってられないわな。その鎖国を解いたら解いたで今度は市場が混乱、ネズミ講で国民の1/3が財産を失い各地で暴動がおき国内の警察では止められず国連多国籍軍出動、というほとんど冗談のような近現代史を抱えた、現在ヨーロッパで下から二番目に貧しい国であります。


鎖国していたがゆえに、周囲の国と結ばれた国際線がバス・電車ともにまだまだ乏しく、国境越えも容易ではないと聞いていましたのでどうなるかな、なんなら行かなくても良いかな、くらいに思っていたのですが、ギリシャでバスのチケットを買うときに、ブルガリア行きは無いと言われ、じゃあマケドニア行きをくれと言えばマケドニア行きもないと言われ、じゃあ何があるんだよと半ギレになってたずねたらアルバニアならあると。半信半疑でチケットを買ってバスに乗ると、確かにコンパスはアルバニアの方向を指しおりまして、一安心。どこまで人を疑ってんだテメエは、ということなんですけれども、逆に窓口の人に言わせたらいったいこいつは何がしたいんだ?という感想でしょうか。ギリシャ出られりゃどこでもいいのかっていう。まあ図星ですけどね。



さて国境。ギリシャ出国はバスのなかでパスポートを回収して、まとめてハンコを押したのちに、一人ひとり名前を呼んで返却(なお、私は「ジャポン!」と呼ばれました。私などが日本を代表して返事をしてしまい恐縮です。特に天皇陛下すまん)という方式ですんなり終了。アルバニアはどうかな?と思ったらこれも同じ方式でさっさと手続きは終わりました。だがしかし、あいかわらず疑り深い私は自分の目の前でスタンプが押されない場合は、かならずすぐに本当に押されたかどうか確認することにしています。案の定、いくら探してもアルバニアのスタンプがありませええええん!!と、「なんだかジャポンが騒いでいる」ということになり車内は軽く混乱、どうしたどうしたとかわるがわるギリシャ人がやってきては私のパスポートをひったくりぱらぱらめくります。そして突っ込み。ここにちゃんとあるじゃねーか。






パスポートのどこにスタンプを押すか、というのはスタンプ押印係りの性格で左右されるのか、それとも国家全体の意思が反映されているのか私は存じ上げません。日本、タイ、日本、香港、トルコ、グルジア、グルジア、アルメニア、グルジア、トルコまではびっしり隙なく続けて押されており、ギリシャで一気に10ページほど飛ばして押され、さあ次はどこだと思ったらこのページでした。世界一周旅行初心者なのでぬるいことを言っているのかもしれませんが、この一番最後のページはそんなにカジュアルにスタンプが押される場所なんでしょうか、100カ国以上回ってビザを貼ったりスタンプ押したりするスペースがもうないからページを増やす手続きをした、という方の話を聞いたりしたことはありますが、私などまだまだ10カ国にも満たないヒヨコですから、わざわざこんなところに押す必要はないのではないでしょうか、と常識人の私は思ってしまいます。そしてこれまで見たなかで最も殺風景なスタンプ。国名の表記もなにもない。日付と45という謎の数字のみ。ここまで簡素だとインクの節約という線までも浮上してきますな。







なお出国スタンプはこれです。まあヨーロッパにはありきたりな形です(場所はあいかわらずギリギリですが)。ちなみに右上のマークは、バスで国境通過すればこのように車マーク、電車で通過すれば電車マーク、船で通過すれば船マークが押されます。飛行機はまだ未体験。そういえば、次に訪れたマケドニアの出国スタンプが押されていないままずんずん先へ進んでいまハンガリーはブダペストでございます。ドナウ川が見えるマクドナルドからブログ更新。店内のトイレに入るときにレシートを見せないと門番に追い払われるシステムになっているのですがレシートなくした悲しい。

2011年6月19日日曜日

私的なことがらを記録しよう!! レプブリカ・バルガリャ編

6/18(土)スコピエ→ソフィア

朝5:30起床。昨晩は22時過ぎに音楽でも聴くかとねっころがったらその日はたまたま6人部屋ドミトリーにオーストラリア人の女性と二人きりで、「電気消してもいいかしら?」と言われとっさにノープロブレムと答えてしまい部屋は真っ暗、彼女のため息を聞きながらあーこれはどういう展開なのだろう据え膳か?据え膳か? ああドキドキして眠れないなあと悩みながら22:30就寝。


シャワーを浴びてストレッチをして、朝ごはんが食べたいが残り170ディナル(約340円)しかないので金の使いどころを迷う。だらだらネットをやって7:30過ぎに宿を出て、2キロメートルくらい歩いてバスターミナルへ。パン(80ディナル)、コーヒー(60ディナル)で飲食の欲を追い払いながらバス待機。出発直前にトイレ入場に10ディナル使い、バスへ。ブルガリア行きのバスはガラガラで快適だった。


マケドニア出国手続きもブルガリア入国手続きもバスのなかでパスポートを回収し、スタンプを押したのちに一人ひとり名前を呼んで返却という方式で、マケドニアの出国スタンプが押されていないっぽい(注:パスポートのスタンプ話はいろいろおもしろいのがあるのだけどそれは別の機会に)が、ブルガリアにふつうに入国できたのでまあ良い。車中ではスペイン語の勉強。ブルガリアの首都へ向かうバスでスペイン語を勉強するモチベーションはなかなかあがらなかったので、マイルズ・ディビス"スケッチ・オブ・スペイン"を聴いてテンションをあげる(ベタベタです)。会話文を丸暗記して頭のなかで再生させつつ意味が取れない単語をテキストの解説を見て調べてそれも暗記というわりとゴリゴリな方法で勉強しているので長続きするかは不明。


2時過ぎにソフィアのバスターミナル到着。トイレに行きたいが現地通貨がない、しかしここはEU圏だったと思い出し(まあ実際にはEUに加盟したくてしたくて仕方が無いけどたぶん無理っぽいトルコでも、同じくEU未加盟のアルバニアでもマケドニアでもユーロは使えるのだけど)、ユーロを渡すとユーロとレヴァが混ざってお釣りが返ってきた。


とりあえずATMでお金を下ろし、宿に向かおうと南へ進む。ソフィアは南北に大通りが走っており、その右側が中心地でかなりコンパクトな都市で、宿は左側のほうへちょっと行ったところにある。バックパッカーには有名なホステル「モステル」だ。一番やすいドミトリーにしたら、ベッドが20個くらいずらっと並んでいてしきりもない部屋に連れて行かれた。これはなかなか面白い光景だ。 荷物を預けたり、宿と街の説明を聞いているうちにさすがにお腹がすいたのでレストランを探す。ちなみにマケドニアとはプラス1時間の時差があるのでなんだかんだでもう4時だ。


宿ではパスタとビールが無料でふるまわれるらしいが7時から8時の間なんだそうで、いささかタイミングは悪い。それでも宿の人に紹介してもらったレストランを見つける、が、わりとメニューがしっかりしていて高そ……と一瞬躊躇するも、若干レヴァを下ろしすぎた気がしてきたのでまあいいかと強気になり、12レヴァ(840円)のカヴァルマを食べる。鶏肉と野菜を炒めてキャセロールに突っ込んだもので、ブルガリアの代表的なメニューなんだそうだ。調理にかなり時間がかかり、食べ終わったらもう5時である。


明日の夜にはブルガリアを出る予定なので、列車の切符を買いに行く。ソフィアでは、駅までいかなくても「リラ」と呼ばれるチケット売り場があるので便利だ。ベオグラードに向かおうかブカレストに向かおうか若干迷ったが、まあルーマニアに単発で行く機会もそうそうないだろうということでブカレスト行きのチケットを買う……が高けえ。寝台車両だと4000円近くする。これでは予算を越えるので、仕方がないから座席車両のチケットにする。列車で座席は初めてだが、まあ10時間の我慢だ。空いていれば横になれるだろうし。


その後、夕食の時間までソフィア市内をブラブラ。地図を確認しながら歩けば基本的に迷うことは無いが、だんだんそれにも飽きて地図を閉じて適当に歩き出すと迷う。それでも、ああここが旧共産党本部か、ここがオペラ劇場か、これは噂のストリップ劇場だな、などと適当にぶらついたのち、方位磁石で方角を確かめ、なんとなくの検討をつけて宿の方向へ戻る。地球の歩き方は、一部の道路のキリル文字表記が間違っている。まあこのガイドブックシリーズは地図がけっこう間違っていることも多いのだが、逆にマイナな国でもそこそこの精度で紹介されているのでありがたいと思うべきだろう。


夕食はボロネーゼ。麺がぼそぼそでソースもいまいちであり、そこまで空腹でもないということで半分くらい残してしまう。申し訳ないが、隣になった韓国人も大量に残していたからまあそれが相場だと思うことにする。この宿はさすがにバックパッカーがひっきりなしにたまり場をウロウロしており、日本人も居た。その二人と旅の話しなどをして時間をつぶす。その後、ストリップ鑑賞に行かないかと提案する。


「ストリップ行きません? 僕は一人でも行くつもりですけど」
「あー、"カーマスートラ"?」
「そうですそうです。10レヴァで行けるらしいですよ。場所はさっきたまたま確認しました。」
「………」
「ああじゃあ行こうかな。夜遊びができるの嬉しいな」


ということになり、宿で貰ったラキ(果実蒸留酒)無料チケットをもってとりあえず近くの酒場へ行き乾杯。ブルガリアのラキは、アルバニアのラキよりも飲みやすかった。まあアルバニアにも10種類くらいあったので、私が選んだのが癖が強いものだったのかもしれないが。ラキの世界もいろいろと銘柄があるらしく探っていけば広そうだ。

9時半くらいになったので酒場を出て、ストリップ劇場へ。

「まだ誰も客居ないね」
「10時開店ぴったりに来ちゃいましたからね。どんだけやる気まんまんなんだっていう」
「オレATMで50レヴァぐらいおろしてこようかな」
「やめましょうよ。そこまでお金を使わずに贅沢できそうなポイントで我慢するのがバックパッカーの倫理でしょ。まあ別にいいけど」
「………」
「冗談冗談」
「一人5レヴァ。あとドリンクは?」
「あーこれいま払うの? 細かいのないわ。まとめて払っておきますね」
「じゃあハイネケン。三つ。」
「カーマスートラってインドですよね」
「そうそう」
「あ、あれカジュラホの寺院と一緒だ。格が違うけど」
「………」
「さっそく始まりましたね」
「スタイル良いなー」
「踊りぜんぜんやる気ないっすけどね」
「曲が変わると女性が入れ替わるんだ」
「これ写真とったらやっぱり殺されますかね」 
「………」
「殺されるでしょ」
「すごいハイヒールはいてますね」
「これはぽっちゃりだな」
「そうですか?」
「くびれにはこだわりたい」
「………」
「この子いいすね」
「もしかしてロリコン?」
「違いますよ。てゆうかロリですか?これ」
「………」
「トイレどこだろう」


ゲラゲラゲラゲラ(地元のソフィアっ子の集団が笑いながら入ってくる)


「ダンスうめえ」
「トイレ50セント取られたよ」
「………」
「だんだんおっぱいにも慣れてきたね」
「てゆうかこれ同じさっきもおっぱいじゃなかった?一巡した」
「いやまだでしょ」
「………」
「あれはシリコンだろ」
「シリコンとか大声で言うのヤバイっすよ。通じたらどうするんですか」
「シリコンってブルガリア語なの?」
「いや違うと思いますけど、専門用語だから」


ソフィアっ子の一人が、20レヴァを支払い、女の子を膝の上で躍らせる。男もTシャツ脱いでノリノリ。


「やっぱりあれ行こうかな」
「僕は行きませんよ。12レヴァで抑えます」
「まあ20レヴァぐらい良いんだけど、これって子が居ないんだよな」
「あの子よくないですか?」
「そう? くびれてなくない?」
「いやでもダンスが」
「これさすがに一巡したでしょ」
「あ、二人同時に踊りだした」
「ハッピバースデートゥーユー」
「ハッピバースデートゥーユー」
「ハッピバースデートゥーユー」
「すごい盛り上がってますね」
「蕎麦食いてえ」
「中華料理屋あるらしいですよ。ラーメンとか売ってるんじゃないですか」
「ハッピバースデートゥーユー」
「ハッピバースデートゥーユー」
「ねえちゃんねえちゃんこれやるから乗れ、乗れ」
「あいてないでしょこの時間じゃ」
「そうかなあ」
「ハッピバースデートゥーユーディア×××(聴取できず)」
「一巡したし行きますか」
「じゃあこの子終わったら出ようか」
「そうすね。あー足ほっそいな」

 宿に戻り、パリス・ヒルトン"Screwed"聴きながら日記を書く。0:30就寝。


2011年6月1日水曜日

恋について

インターネットは人類にとって空気なのだから当然のように電波っていうんですか、そういうあれはそこらじゅうどこでも飛んでいるべきだ、と主張して止まない私ですが、なかなかそうもいかずにインターネット様につなげる環境にはまだまだ希少性がございます。


アルメニアはWiFi完備のカフェ・飲食店が多いので(「ヤムヤムドーナツ」がお気に入り)、暇さえあればパソコンを持ち込み、ときたま他の客に「ヤパン? 一緒に写真撮ろうぜ!」と声をかけられて中断する息苦しい時間をのぞいては、コーラ一杯でえんえんとインターネットにつないで観光地の写真を見てそこに行った気になる、そういう日々を過ごしております。とはいえ、2011年にもなって「インターネットって……良いよね! おすすめだよね」ということが言いたいわけではなくて眼鏡をなくしました。


ヤムヤムで後ろ髪をひかれる思いでパソコンの電源をオフ。ところが2キロメートルくらい歩いたところで何かこう胸が締め付けられるような、いてもたってもいられないような、そんなせつない気持ちに襲われ、WiFiがつながるピザ屋の外でパソコンを開き、電波を盗みとる。5分間だけ接続したのちカバンにパソコンをしまい、宿へと戻ったのでした。あとから気づいた眼鏡ケース不法投棄。


貧乏がいけないのです。三井住友銀行の口座に潤沢な資金さえあれば、ピザのひと切れやふた切れどうということもない。なんならそっくりそのまま残してやったっていい。店内で悠々とつながりへの欲望を満たし、店員と「お口に……あいませんでしたか?」「アイ・ケイム・フローム・ジャパン。アルメニア・イズ・ナイス・カントリー!」などとちぐはぐな会話をしてから、机のうえをゆっくり見渡して忘れ物がないか確認して店を去る。もともと私はそのような注意深い人間ではなかったか? 


路上で人様の電波を掠め取る。犯行の一部始終は複数の人間に目撃され、ご丁寧に証拠まで残して立ち去る。そのような無能なこそ泥に育てた覚えは無いのだがな。たしかにお前とはキャッチボールを一回もやったことはないから野球が嫌いなのはわからんでもないが……という何もわかっていない父親の声が聞こえてきますがそういう問題ではなくて、たいして貯金もないくせにインターネットを愛してしまった、身の程知らずのこの恋が、眼鏡喪失事件の原因なのです。深夜に母親が泣いてるのがあなたの浮気のせいだって高校生になるまで気づきませんでした何もわかっていないのは私のほうでしたすみませんお父さん。



目が見えないのでついつい前置きが長くなりすぎました。眼精疲労が耐え難いのでいったん中断します。本題は「アルメニアで眼鏡を購入!」なのですが店員さんが微妙に英語できるっぽいのであまりおもしろい展開にならないかもしれません……

2011年5月25日水曜日

チャイの味が変わった。取っ手もついた。

グルジア入国後に立ち寄ったガソリンスタンドで運転手にチャイを奢ってもらう。トルコで飲んできたものとは少し味が違う。ガラスのコップに取っ手もついた。ああこれが国境を越えるということかと、こっそりテンションがあがる。


トルコのエルズルムから、国境のサルプという街までバスで行き、国境を越えたらタクシーで近くの街まで行こうと思ってバス会社の窓口に行ったらあっさり「国際線があるよ」と言われ、エルズルム-ティビリシ(グルジアの首都)間のチケットを買った(約3000円)。


国をまたいでの旅行の醍醐味のひとつに陸路での国境越えがある。日本に居ると国境というものはあまり意識しないが、世界一周をするにあたり各国の治安などを調べていて、国境についてはいろいろ思いを馳せるところがあった。そしてインドからトルコへは飛行機を使ったから今回がはじめてである。


グルジア行のバスはがらがらで、英語ぺらぺらで神道イズムについて興味があるというおっさんと、彼氏とえんえんとケータイで会話をしているトルコ・ギャル、そして落語を聞いてくすくす笑っている不気味な日本人というメンバーで山道を進む。件のおっさんに「神道イズムとは何か」と聞かれたので、「イスラームでは神様はアッラーだけらしいが、神道では神様が8ミリオンくらい居て、多すぎるから誰も名前を覚えられないんだよ」という微妙な説明をした。


午前一時ごろにたたき起こされ国境到着。ねぼけたまま、まずはトルコ出国手続きに向かう。入国同様一瞬で終わる。徒歩で少し歩いた先にグルジア入国手続き所。日本人はアゼルバイジャンとアルメニアはビザが必要だが、南コーカサスの三カ国でグルジアだけは必要ないためこちらも余裕。ニコニコしながら「ユタ、キヨ……キヨノ?」「イエス」「ウェルカムトゥジョージア!」となごやなか雰囲気に包まれてグルジア入国である。


抜けた先は両替屋と駄菓子屋があるくらいのさびしいものだった。トルコ・ギャルはあいかわらず電話をしていて、ことほどさように愛は国境を越えるものなのだなあと思いながら立ちションをしてバスを待つ……が走ってやってきたのはバスの運転手であった。


「お前、荷物下に入れっぱなしだろ?」とかなんとか、おそらくそんなことを言っているのだろう(トルコ語なのでわからず)。うっかりしていたが、荷物もイミグレを通さないといけなかったらしい。仕方がないのでバスへ戻ろうとするが、「ちょっと荷物を取りに……」という主張が通るはずもなく、グルジア出国手続き。はじめてのグルジアは立ちション一回で終わった。バスへ戻りバックパックを拾って再度入国手続きをしに向かう。さっきと同じ担当者で「また来たの?」と笑われたが、今回も「ウェルカムトゥジョージア!」と言ってくれた。


というわけで同乗者に若干迷惑をかける格好にはなったが無事にグルジア旅行がスタートした。なお、冒頭に述べたチャイ、神道イズムについて質問してきたおっさんいわく、「これはスペシャルなティーで、アゼルバイジャン・ティーって言うんだぜ」とのこと。やはりコーカサスはなかなか複雑そうである。